映画『関心領域』と私の関心領域

(ネタバレないです)
アカデミー賞で国際映画長編賞、カンヌ映画祭でグランプリを獲った、映画『関心領域』。

マーティン・エイミスの同名小説を、『アンダー・ザ・スキン 種の捕食』で映画ファンを唸らせた英国の鬼才ジョナサン・グレイザー監督が映画化。スクリーンに映し出されるのは、どこにでもある穏やかな日常。しかし、壁ひとつ隔てたアウシュビッツ収容所の存在が、音、建物からあがる煙、家族の交わすなにげない会話や視線、そして気配から着実に伝わってくる。その時に観客が感じるのは恐怖か、不安か、それとも無関心か? 壁を隔てたふたつの世界にどんな違いがあるのか?平和に暮らす家族と彼らにはどんな違いがあるのか?そして、あなたと彼らの違いは?
https://happinet-phantom.com/thezoneofinterest/

アウシュビッツ所長のルドルフ・フェルディナント・ヘスとその家族のホームドラマを描き、誰も死なない、血も出ない、残虐的なシーンは一切なし。
ただただ家族の営みを映し出しているのに、ずっと不穏。その不穏は音で表現されていて、アウシュビッツの悲惨さを音とイメージ映像で見せている珍しいタイプの映画だった。

映画を見る前に、以下の記事を見ることをおすすめする。
ホロコーストについてそれなりに歴史を知っておいた方がいい。


映画『関心領域』を見る前の6つの「心構え」。『オッペンハイマー』と対照的なポイントとは
https://news.allabout.co.jp/articles/o/80061/

映画を観た後、分からないところや伏線などを調べていると、


私、これ知ってる。


と私も関心領域の隣に住んでいたことを思い出したのである。


東京の西にある、在日米軍 横田基地。
隣とは本当にフェンスを隔てた隣で、週末は芝刈りのけたたましい音で目が覚め、時折BBQを楽しむ匂いと声がする。アメリカの独立記念日には花火が上がる。
アーミーの妻たちは小遣い稼ぎに近隣の日本人向けに英会話を教えていた。私はその英会話教室に小学校低学年くらいから通っていたのである。


アメリカらしい匂いのサラミピザやチキン。映画は最新のハリウッド映画に、最新のナイキのスニーカ。
ゲームセンターにはアメリカのゲームしかなく、エアーホッケーで死ぬほど遊んだ。ニンジャタートルズのアーケードゲームがあった。
今ほど日本でハロウィンが定着していなかった頃、当時は珍しかった魔女の格好をし、ジャックオランタンの変な甘い匂いが漂う基地の中で『Trick or Treat!』と家のドア前で叫び、信じられない量のお菓子をせしめた。クリスマス会で出された、砂糖がしょりしょりする、甘くてカラフルでまずいケーキも食べた。
日本だけどアメリカ。毎週水曜日の夕方はアメリカに入国する日だった。

入国は至って簡単。ゲートと呼ばれる関所があり、名前、住所、電話番号、行き先を書いた紙を受付で書き、帰りはゲートの缶入れにその紙をポイッと入れるだけ。
しかし、年を追うごとに、入国証明書が必要になったり、それが顔写真付きになったりと、入国が容易いことではなくなってきたのを幼心に感じていた。

そしてあの日がやってきた。
2001年9月11日。
塾が終わり、家でぼんやりとテレビを見ていたらよく分からない景色が広がった。
次の日、隣のアメリカはいつもののんびりとした表情を一変させ、ゲートの前を通る全ての車を検問し、大渋滞を引き起こした。

今だから分かる、あの時私たちの住む街にテロが起こってもおかしくなかった。
いわゆる緊張状態だったのだ。

もしかしたら両親は不安がっていたのかもしれないけど、その話をした記憶がほとんどない。当時中学生だった私は、大変なことが起きたのは分かっていたけど、どこか他人事で遠い国のおとぎ話だと思っていたのだ。
隣にその生活と国があるのに。10年以上そこに住んでいたのに。

映画のように大虐殺は行われていない。
だけど私たちは、ルドルフ・フェルディナント・ヘスとその家族となんら相違のないことをしていたのだ。

先に紹介したページに、

ジョナサン・グレイザー監督は本作について「ある意味で我々を描いた物語でもある」「我々が最も恐れているのは、自分たちが彼らになってしまうかもしれないということだと思います。彼らも人間だったのですから」と語っています。

映画を観た後、ぐるぐると思いを巡らせている時に、私は、映画の中のルドルフ・フェルディナント・ヘスとその家族になったことがあることに気がつき、眩暈がした。

兼ねてから、朝ドラなどで第二次世界大戦が始まれば、戦争嫌いと言っていたけど、私は起こりかけた戦争に無関心だったことがあるーーーー

その事に気がつけただけでもよかったのか、それともあまりに愚かな私への断罪なのか。

私の関心領域はあの頃より少し広がったかもしれない、でも過去に起こった出来事への関心領域も拡げないといけない時なのかもしれない。